ロレート広場
ミラノの中心地より北東に位置するロレート広場。この広場はミラノでもかなり大きな広場のひとつで、市内のジャンクションとしていつも多くの車が通り過ぎる交通密集地でもあります。またロレートは地下鉄の赤線(Linea1)と緑線(Linea2)が交わる駅でもあり、ミラノの下町として知られるコルソ・ブエノスアイレスに繋がっていることから多くの人々がここを通りすぎます。
ファシズムの象徴と歴史
第一次大戦後、イタリア国内は急激なインフラのため失業者が増加し、人々の暮らしもとても苦しいものだったということです。そんな時代の陰から生まれたファシズムはポスターなど出版物、ラジオの普及などにより熱狂的に支持されました。
1925年に統領に任命されたベニート・ムッソリーニはその後20年に渡って独裁政治を行いました。イギリスやフランスの連合軍に追い込まれ、逃亡を図ったムッソリーニはコモ湖近辺にて殺害され、このロレート広場にて逆さ吊りにさらされたということです。民衆の怒りを駆って彼の遺体はバラバラにされたということですが、長きにわたったファシズムが終わりを迎えた場所ともいえるでしょう。